「期待しない」って言うのは「期待し続けている」から。
楽しみな事があった。
でも、それが実際に行われて、終わるまでは期待しない。
だって途中でだめになったらイヤだから。
今は上手くいってても、最後まで油断して嬉しくなったりはしないぞ。
私の妻はこういう風に考えています。
よくないことを想定しているという点では準備が良いといえますが、楽しいことをやっているのにあんまり楽しそうじゃないと思う時があります。
私は以前「挑戦しようとすると失敗しそうな気がするので、怖いからやらない。」という風に考えていたことがよくあります。
先日、妻と話していて私たちのこういう考え方、なんか似てるなあって思いました。
どんなことかというと、
「誰かに期待し続けている」ということです。
いやいや「期待しない」って言ってるじゃん!って思った人もいるかもしれません。
私の場合を例にします。
私は35歳まで彼女なしでした。
自分が好きになった人に嫌われて傷つくのが怖かったので、彼女を作るためのアクションができなかったんです。
私の中の前提として、「自分は嫌われる」というものがありました。
人間関係は一生のものです。
いずれ「自分は嫌われる」と考えていれば、一時的に付き合えたとしても、いつか嫌われて傷つくと考えていました。
それで何もできなかったんだと思います。
彼女がほしいと思って心理セラピーを受けはじめ、自分の課題と向き合いました。
心理セラピーを進めていく中で、何回かやったワークは、自分が傷ついたことを言葉にして、そのときの感情を感じることです。
そして、「もうあなたには期待しません」と宣言する。
その時にはスッキリしますが、心はぽっかり穴が空いた感じです。
その後のワークで心の穴をふさいで終了ですが、最近になってこのワークについて気づいたことがありました。
ワークの中で「期待しません」って宣言するということは、それまで自分は心のどこかで相手に期待しているのだということです。
その期待が果たされず、傷つくのが嫌なので、表面上は期待していない。
でも心の何処かではまだ期待している。
そんな葛藤があったのかもしれません。
ワークでは、傷ついた中にある感情を感じていくことで、いい意味での「あきらめ」ができるようになりました。
そして、心から「期待しません」と宣言する。
宣言したことでようやく長かった期待の日々が終わったんです。
そして「今後期待が果たされず傷ついたとしても、もう一度期待する」ことができるようになったんだと思います。
人は傷つくのが怖いです。
でも傷ついたとしてもその心を自分で癒やす事はできます。
傷ついた心を自分で癒せるようになると、「傷ついても大丈夫」って思えるようになるんだと思います。
妻と結婚して一緒に暮らしていると、全く予想もしていなかったことが起こります。
「こうして欲しい」と思ったこともありますし、その期待どおりに行かなかったことも数多くあります。
それでも妻を嫌いになることは無いですし、何度でも期待できるようになりました。
大切なのは「傷つかない強さ」ではなく、「傷ついても大丈夫だと思える強さ」なんじゃないかと思います。
そして傷ついても大丈夫だと思える強さは誰でも持っていると思います。
目の前にとてもうれしいことがある。
でも「期待しない方がいい」と思ったら、すこし立ち止まって考えてみると良いと思います。
今、誰に何を期待していますか?
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