親子は対等ではない

親子は決して対等にはなれない。

親は与える、子は受け取る。

これが狂うとおかしなことになる。

そして、変な形で落ち着いてしまう。

子供が親に気を使い、ご機嫌取りをし、仲を取り持とう、波風立てないようにしようとしているのは、家族がたどり着いた解決の形の1つ。

親の役割を果たせない親なら、子が親の役割を背負って無理をしながらも家族を支える。

家族が常に完全に機能しているからこそ、こんな事が起こる。

家族が機能しているから、子が親役を降りたとしても、違ったかたちで落ち着く。

だから勇気を持って降りよう。

今の家族の形を維持してるのは自分だということだ。

自分が親を見下し、お世話をすることで、親の生きる力を奪っている。

そう考えてみよう。

親はそう生きることを選んだ。

子供がそれを否定してるから歪んでるのかもよ。

自分がやめても、親はどうにかできる。

きっかけは純粋な子供としての愛だった。

ただ、それは親の尊厳を奪う。

自分自身は子としての立場を失い、尊厳を失い、誰から与えられるものも受け取れなくなる。

子は親に与えられない。

子は親より高いところにいられない。

心の重荷とは、親の親になってしまった自分勝手な責任感。

親の親という立場を降りる。勇気を持って。

その時重荷も置いていける。

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