ドラゴンボールから怒りについて考える

「オレは怒ったぞ!」

「クリリンのことか!」

実は、怒りではない。

 

これは漫画「ドラゴンボール」のシーンの一つ。

孫悟空がスーパーサイヤ人として覚醒して、フリーザと戦う。

 

その時の悟空は怒りを爆発させてものすごい力を出す、というところ。

多くの人が「怒り」というのはこういうものだと思っているんじゃないかな。

私も漫画の連載やアニメを見てたときはそう思っていた。

でも、感情について学んで改めて思うのは、

「ここでの悟空の感情、怒りじゃないな」

ということだった。

 

なんでそう思ったかというと、フリーザを倒した直後の悟空の複雑な顔。

本物の怒りを使っていたら、ここでスッキリした表情になるはず。

もちろん爆発が迫っているナメック星でスッキリとかならないかもしれないが。

 

でも、

・クリリンを失った悲しみ。

・フリーザにトドメをささなければならなかった悲しみ。

そういった感情が悟空のあの表情から感じられた。



次はベジータ。

彼は修行のなかで、自分の限界を感じ、自分への怒りでスーパーサイヤ人に覚醒したと言っていた。

しかしこれも本当は悲しみだったと思う。

同じサイヤ人のカカロットはスーパーサイヤ人になれるのに、王子である自分はなれない。

自分の限界が見えてきて、このまま永久にカカロットに勝てないかもしれない。

そんな深い悲しみの中でスーパーサイヤ人に覚醒したんじゃないかと思った。

たぶん、

「くそったれーーーーーーー!!」って叫んだんだろうな。

悲しみを怒りで誤魔化して。



セル編での孫悟飯も同様に悲しみでスーパーサイヤ人2に覚醒。

でも違うのはその後。

セルをナメて傲慢になっていたものの、ある程度の冷静さを持って戦っていた。

これはしっかりと悲しみを消化して、その下にあった怒りが出てきたんだと思う。

アニメだと覚醒直後は涙を流していたが、戦うときには出ていなかったし。

そしてセルとの最後のかめはめ波対決。

あそこで使っていたのは怒り。

みんなを、地球を守るために、限界を超えた力を引き出し、セルを退けた。

こんなふうに、日本では怒りに対するイメージが本来のものとはズレていると思う。

怒りは自分や自分の大切なものを守るために、脅威となるものを退けるための感情。

そこには力と、冷静さが同時に存在する。

時に激しさを伴うこともあるが、過剰なエネルギーを出すと、驚くほど冷静になれる感情なんだよね。

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